日記・コラム・つぶやき

2015/03/11

丸4年・・・

あの日から4年。

自分に出来る事は何なのか?

折に触れて考えます。

入っているボランティアの会で、5月に、「福幸(ふっこう)支援ツアー」と称して、バスで沿岸を訪問・一泊してきます。

遠くは広島から参加して下さる方も。。。ありがたいです。

行って、泊まって、食べて、買って・・・・そんなことしか出来ないけれど、ずっと忘れず、ずっと何かをし続けたいと思います。

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2014/11/12

闘病観察日記 その9 と ドイツ旅行が決まるまで

母の闘病観察日記 9&初ドイツ旅行が決まるまで編(笑)です。

一見(sign02coldsweats02)と思えるような方法から始まったリハビリ。

現在は立つ(立たせてもらって、立つ時も支持有)ということに加え、左側を動かしてもらいながら歩く練習も時々しています。
動かない左足を、腰の辺りから持ち上げるように右側に体重をかけ、前に振り出す・・・という感じでしょうか。

左足は、動かないながらも、ベッド上で曲げておいて「伸ばしてみて」と言うと、力を伝えて伸ばすことが出来るようになりましたhappy02upup曲げることは出来ませんが・・・coldsweats01

また、左足に付ける装具を作りました。今までは借り物だったので、フィット感が違って本人も嬉しそうでしたhappy01

ただ、左腕はまったく動きませんbearingむしろ、左手に対する刺激が全て左腕の付け根で「痛み」として感じてしまうようで、その痛みはリハビリの障がいになっているようですsaddowndown(この痛みは、左足をうかつに動かすと同じように感じるとのthink

また、本人としても、車椅子wheelchairに乗って多少動く事が出来るようになったものの、やはり左側の視界eyeが狭く物にぶつかったり、動かせる右手だけを頼りにする為、右手の痛み(加齢による物だと以前から言われていた)がひどくなって
「右手が動かなくなったら終わりだshock
という恐怖感や、出来るようになった部分に比較してしまうと、やはり「出来ない事」の大きさがのしかかってきているようで・・・bearing うつ状態もかなり見られるようになっています。

「この病気だけにはなっちゃいけない」と涙を流したりしていますcryingcryingcrying

 

そんな感じで、倒れて2か月近く経ち、10月も10日を過ぎた頃でした。
母が「あんたたち(私と娘)、旅行にいくはずだったでしょsign02いいから遠慮しないで行きなさいsign03」と言い始めました。


確かに元々、10月初旬に娘の卒業旅行としてドイツbeerairplaneに行く計画を立てていました。
でも、815日に母が倒れ、行きたい気持ちはあるものの、現実問題無理sweat02だと諦めてもいましたcatface

そんな中での母の言葉・・・最初は「そうだねcoldsweats01」と流していましたsweat01が、「私のせいで行けないというのはつらい」と言い出しましたthink

eventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventeventevent

そこで改めて行ける日を考えましたが、冬休み当初は、娘の入社に関する説明がありダメdown年始も15日から学校が始まる為難しく、その後は試験、卒業試験・・・(追試sign02sweat02)そのうち母の退院(転院?)が2月末との話でしたので、1月~3月は日程上難しいことがわかりましたsad

でもふと見ると・・・ポッと目の前に8日間、何とか休みが取れることがわかりましたcoldsweats01

出発できるのは2週間後。でも今からでairplaneticketチケットが取れるのかcoldsweats02sign02sign02sign02

今年は春から、広島・神戸×2回をキャンセルannoyしていた旅行会社の知人にダメ元で聞いたところ、何とかairplaneのチケットが取れることが判明しましたflair(ツアーは既に2週間を切って募集締切でした)

次は母の事です。姉と妹に連絡を取り、なんとか休みを確保してもらいましたhappy02叔母にも連絡し、気持ちよく「いいよ」と了解してもらいましたconfident

でもでも・・・実は11月頭に、先輩・和久さん(東京在住)が、秋田でのクラス会の帰りに岩手・沿岸被災地を見に来て下さるとのお話があったのですcoldsweats02

何年も前からの話で、しかも私が「是非是非sign03」とお誘いしていたにも関わらずbearing

でも、この時期を逃すとどう考えてもまた身動きが取れなくなることもわかっていて・・・かなり迷いましたが、失礼を承知で和久さんにお話ししたところ「いってらっしゃい」と気持ちよく言っていただきましたshineshineshineshine(和久さん、本当にありがとうございますlovely

そこでやっと吹っ切れて、10/28羽田→フランクフルト、11/3ミュンヘン→羽田(到着は11/4)の便を押さえ、そこから慌ただしくホテルを押さえてもらい、急遽ドイツ行が決定しましたcoldsweats01


後から考えると、あまり急な事で色々考える暇がなかったのが良かったのかもしれませんcoldsweats01

ということで、その時点で決まっていたのは以下のことだけ。。。

10/28 1155羽田 → 10/28 1610フランクフルト

    フランクフルト宿泊

10/29  クロンベルグ宿泊(娘の希望で古城ホテル)

10/30  ローデンブルグ宿泊

10/3111/2 ミュンヘン宿泊

11/3  2000ミュンヘン → 11/4 1545羽田到着

 

今考えると、ミュンヘンを1泊減らしてクロンベルグかローデンブルグにもう1泊したかったのですが、それもこれも、今になっての事catface

というわけで、次回はやっとドイツ旅行編 1となりますconfident

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2014/11/10

闘病観察日記 その8

母の闘病観察日記その8 ですconfident

転院(8月28日)後始まったリハビリ。でもリハビリとは言え、当初予想していたものとは少し違う感じで始まりましたcoldsweats01

動かない手足(左)だけではなく、動く手足も可動範囲を狭めないようにしたりするのは予想していましたが、腰の部分をもって揺さぶるというか、そういう動きを療法士の先生がさせていました。

正直、(何をしてるんだろうsign02それってリハビリになるのsign02coldsweats02)当初そう思っていましたが、今思うと、元々ない筋肉()と、体幹とを意識させつつ「体の真ん中」という感覚を認識させながら運動させていたのだろうと思いますconfident

転院直後は特に首の痛みがひどく、リハビリどころか体位を変える時も「痛い、痛い」と大騒ぎでしたbearing見かねた先生がブロック注射(痛みどめ)をバンバン()打ってくださって、何とかその時期を通り過ぎましたcoldsweats01

その為、リハビリも痛みが出ない程度しか出来ず、結局倒れてから1か月ほどしてから、リハビリの初歩の初歩が始まった・・・という感じでした。ちなみに首の痛みは凝りではなく、神経から来る痛みだと本人は言っていました。

そうして、1か月ほどたってやっと長い時間(30分位)ベッド上で座れるようになってconfidentその後更に半月以上を要して車イスに座る事が可能になりましたwheelchair
最初は首まで支えのある車イスでした。首が痛かったのと、体位をキープすることが出来なかったので、支えが必要でした。

今はその時期を経て、普通の車イスになりましたwheelchair
右手で動かして、右足でこいで・・・という感じです。carを運転しない母には、なかなか方向づけが難しいようですが、自分で動けることに大きな喜びを感じていたようでしたhappy01

しかし、右手で動かすことが、結果として肩凝りと右手の痛み(加齢によるもの。使いすぎると腫れてくるbearing)を生んでしまい、これがまた今リハビリの障がいになっていますwobbly
痛みがあると、やる気も落ちるようで、なかなか大変ですbearing

家族としても、痛いなら手を貸したいけれども、それでは母のリハビリの為にはならないし、本人は落ち込むしで、これは今でも解決できていない(し、多分この先も解決しない)問題点ですcatface

左右に体がずれてしまうのも、残っています。左手・左足だけではなく、左半身が身動きできないので重みで自然に動いてしまい、右で肘をついて身体を支えているような感じになってしまうんですね。

また、wheelchairで動けることはいいのですが(ベッドからwheelchairへの移動は一人ではできませんが)、改善はしてきているものの左側の空間無視と、見えない部分が残っている事もわかりましたdespair

というのも、wheelchairでまっすぐ進むsign01(本人の中で)と、ちょうど体の真ん中辺りから左側に障害物があってもそのまま突進していくんですよねぇ…coldsweats01(これは慣れて段々よくはなってきてはいるものの、今でもみられる傾向です)

まぁ、進んだ先の障害物がベッドやら壁ならまだいいのですが(ケガをしないなら)coldsweats01、何せここはhospital
他にも多くの患者さんがいて、自分で動ける方ばかりではありませんので、その方達にぶつかって転倒でもさせたら大変ですwobblysweat01sweat01
ということで、一人でwheelchairを動かす事は(完璧ではないにしろ)可能ですが、常に左側upへの注意喚起をする人が必要だということがわかりましたthink

この頃は、これが今後改善するのか?病状としては改善しなくても、「左が見えていないんだ」ということをちゃんと認識できるようになって、1人での移動が可能なのか?というのが、この先の大きな課題だと思いました。

しかし、今ではそれがなかなか難しい事なのだなぁと、わかってきましたbearing

つくづく、脳の働きは難しいものですねcatface

そんなこんなで、まだまだ闘病は続いています。
そんな中ですが、母の希望もあって(私のせいで旅行に行けないのは・・・という感じ)、娘と2人、ドイツを旅行してきました(笑)それについては、また後日、改めてUPしたいと思いますconfident

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2014/10/26

闘病観察日記 その7

母の闘病観察日記その7です。

そんなこんなでリハビリは続いていますsign01

転院後1か月位(9月後半)の時はベッド上座位(その後は車椅子)で体幹を長時間安定させて座る事、支えてもらいながら体幹を安定させて何秒間か立つsign03ということをやっていました。

座っていても左半身が麻痺しているので、耐え切れず右にいってしまっているのですが、立つことにより足の裏が刺激されることがとても大切shineなのだそうですconfident

母自身も、目線eyeが上がるup事によって、きれいな外の庭(これまたすごくきれいにお手入れされているのですmaple)を見て心が和むようですし、お天気のいい土曜日のスペシャルshineでキムチdogと面会するというのが励みになっているようですhappy01

102週目の辺りでは更に進んだ段階です。

座っていると体がずれていっていたのは段々安定してきていますが、まだずれても自分で気付いて戻す、ということは出来ません。でも転院直後の状態を考えると、嘘のようですconfident

本人の身体の事はとりあえず病院・リハビリの先生方にお任せする以外なく(何せ私の力じゃ、ベッドから移動させることも不可能だったbearing)無理せず、手抜き・息抜きをしながらいかないと、と思っておりますcoldsweats01

ストレスでこっちが倒れてしまっては元も子もありませんから、飲みbeerには出ております()

正直、飲まないとやっていられない・・・と思う日もありますが、これまたストレスからか、そんなには飲めない日もあったりして・・・coldsweats01

いずれ、父の入院hospitalで休んでいたジム通いも、再開後1回行っただけで母の入院hospitalとなり、また休んでいるwobblyんですが、それも自分と将来の娘の為に(介護されなくていいようにbearing)そのうち再開しようと思っていますconfident10月に入り、やっと1度は行きましたw)

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2014/10/24

闘病観察日記 その6

母の闘病観察日記のはずが、父の事になってしまいますがcoldsweats01・・・その6です。

父としては、いきなり相棒である母がいなくなり、私は会社と病院、孫である私の娘も熱心に母の看護・リハビリをしてくれているので、話す相手がいなくなり寂しいと言う気持ちが大きいようですthink

でも(こんな事を言うと「優しくない娘だ」と思われるでしょうがbearing)、これまでも父という人間があまり好きではなくcoldsweats01、なるべく距離を置いて生きていた私にとって、母がいなくなった後の父は益々近づきたくない人種の人で・・・think

また、父自体長年家にいないことが多く、母は私の親であると同時に色々な事を相談し、一緒に過ごしてきた友人でもありましたけれど、父とは必要事項以外なるべく話さないようにしてきたのに、今母の事で手一杯の状態の時に「俺がな・・・」という話をされても、全く迷惑だangryというのが本音でしたcoldsweats01

同時に、父さえ去年心臓の検査をするように言われた時にきちんと対応しておいてくれていれば、急な入院にならず、そうすれば母が倒れることもなかったのではないかthinksign02という思い・・・というより怒りannoyが、心の中にあるのも事実ですbearing

同じような事を、姉も、娘も感じていました。

看護、という視点においては全く無力というか役立たずであることも判明しbearingdowndown、父に対するイライラは益々募っているannoyupupのですが、それに比して娘の、母(おばあちゃん)への対応が際立って素晴らしいのに感心していますconfident

左側がほとんど見えていないと分かった当初の食事restaurantの介助時も、「おばあちゃんが良くなるために、どこまでするべきかと思って、やってるよconfident」とさらっと言われ、只手伝えばいいのではないと言う事を気付かされましたflair

看護師さんやリハビリの方々の声も、正確に届けてくれるので、私が行けない時も安心して任せられます。介助の様子を見た療法士さんが「看護の方面の学校ですか?」と娘に聞いてきたそうですが、その気持ちがよくわかりますcoldsweats01

それに対し父は「俺が全部手伝った」とか、そういう話になるので、イライラ・・・annoyannoy・なわけです。それでは母の為になりませんpout


人の話にも「俺が思うにだな」という自分の見解が混ざるので、どこまでが誰の話だか、さっぱりわからないのが難点です。「あんたの話はどうでもいいgawk」と、つい思ってしまいます()



娘の力を借りられるのも来春の就職までの間ですし、父が退院した後、10月には卒業旅行(お友達がお金がなくていけないと言うので母である私が同行)でドイツに行こうairplaneという計画もあったのですが、とりあえず立ち消え状態・・・(これについては、後日)一生懸命やってくれている娘の為に、何とか姉・妹や叔母の力を借りて、どこかに連れて行ってやりたいと思っているこの頃ですconfident

今思えば、就職で盛岡に帰ってくるhappy01sign01と言っても「いやいや、外(盛岡以外)に出なよthink」と言う冷たい母(=私)の言葉にもめげず、娘が早々に盛岡での就職を決めておいてくれたおかげで、今私もこうして暮らせているわけですconfident

一人で母と父の事を背負っていたら、今頃きっと私も倒れていた事でしょうcatface

 

娘には、感謝と、母へのケアへの尊敬でいっぱいですconfidentheart02heart02

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2014/10/22

闘病観察日記 その5

母の闘病観察日記その5です。

お盆中に脳内出血で倒れ、いきなり始まった母の入院生活hospitalですが、一番最初にネックになったのは父でしたthink

お盆中なので休みだったとはいえ、基礎体力をつけるため、週3回・心臓のモニターをしつつのリハビリに通院中でした。退院後は母がつきっきりでしたので、身体的な面もそうですが、精神的に依存度が高く、何をするにもおろおろしていましたbearing(今でも若干そのきらいはある)

また、減塩の食生活が必要でしたし、その前の週にやっと「手術の時切った肋骨がくっついたので、サポーターを巻かなくていいですよ」と言われたばかりでした。薬の副作用と手足の筋力不足で自分で運転する事も出来ませんwobbly

でも、こうなったら父の事は構っていられませんthink

父にはすぐに「とにかく自立してsign03」と宣言しました。

母が倒れてすぐに休みを取ってきてくれた姉と妹ですが、何かと「じゃあ俺はどうすればいいんだsweat01」と自分の事ばかりを口にする父に苛立つangry私と姉(と娘)は早々に手を引き、妹に父の担当をしてもらいました。

そして、洗濯機の使い方、バスの高齢者利用パスの申請方法、減塩の宅配お弁当の手配等々、父の対応をしてもらいました。(今は主に電話でフォローをしてくれています)

私は、自分達用に作った食事が、父に合いそう(塩分や栄養の面で)な時はおすそわけしますが、それ以外はやらないことにしました。母のことに加えて父の塩分管理まで出来る自信は、全くありませんでしたからthink

減塩の宅配お弁当は父の口に合ったようでホッとしましたcoldsweats01

これまで「シーツはホテルみたいに毎日交換してほしい」なんてことを母にホザイテsign01いた父ですが、やりたいなら自分でやって!gawkです。

幸い、お盆明けのリハビリで、自分で筋力UPの為に歩くのであればもう通院しなくてもいいと言われましたconfident(母の事情も説明したところ、毎回あんなに熱心だった奥さんが・・・と皆さんに声をかけて頂いたそうですweep


その後の心臓の検査でも、心臓の状態も順調に回復してきていて、退院時に比べると倍の動きまできているとのこと。私も安心して放っておける()ようになりましたsmile

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2014/10/11

闘病観察日記 その4

母の闘病観察日記その4です。 

どうやら、左側に見えていない範囲があり、また視界にも欠けた部分があるらしい母ですが、幸いなことに記憶には障害があまり無く(年齢的なボケは多少ありますがcoldsweats01)、タンスのどこに何が入っているとか、銀行間のお金の移動や、入っている保険、その他諸々は指示してくれるので本当に助かりますconfident

言葉は、最初、顔も左側が麻痺している為多少聞き取りづらくはありましたが、家族は平気で聞き返すwので意思疎通に問題はありませんでしたし、言語療法などを経て現在はだいぶ良くなってきているように思いますwinkupup

前述の通り右手が動かせるので、車イスに移動させてもらって、食事は自分で取ります。トレー上の左側も、認識できていないことをだいぶ自覚してきたので、食器を自分で右に動かしています。

「右の人より、おかずが少ないcoldsweats02sweat01sweat01と思って、トレーの左側に顔を向けたら私にもあったsmile」と言っていました。こんな時でもユーモアを忘れない母ですbleah

 ただ、顔の左側の感覚がないため、食べ物が口腔内で左側に溜まってしまったり(注意を促すと食べます)、汁物が左側からこぼれる・・・なんてこともありますcoldsweats01

「こぼれてるよ~」というと、口の周りをティッシュでふき取りますが、そのティッシュをもう一度箱に戻そうとしたりするsign01sweat01sweat01ので、油断ならない部分もありますcoldsweats01(最初はふざけているのかと思いましたが、汚れが見えていない?ようでしたbearing

 

転院前は勿論、転院後も2週間ほどは、食事と、リハビリで介助されている時以外はほぼ全てベッド上で生活している状態でした。(現在は違いますよ~confident

トイレtoiletは、タイミングが合えば行く事もありますが、基本的にオムツをしています。

これまでも、子宮筋腫・子宮外妊娠・腰の手術で3カ月全く身動きが出来ないなど、入院の多かった母ですので、ベッド上の排泄への抵抗感は比較的低かったようですが、自分がもし・・・と考えると、やはり排泄が自分で出来るということは、人間の尊厳に関わる重要なことだと思うようになりましたthink

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考えてみれば、母方の祖母は2回脳内出血を起こし他界しましたし、叔父・母の弟も2回の脳内出血で他界しています。

母は高血圧でもあり、肥満体sweat01で高脂血症、最近は境界型の糖尿だと言われることもありました(薬を飲む程ではないと言っていたけれど、現在値的には糖尿病状態だと、つい最近判明しましたwobbly

それに加え3月からの父の入院hospital・手術、そして退院後の13回の減塩食の作成、週3回の父のリハビリへの付き添い・・・・・・・・・・・ストレス要因が山のようにあり、遺伝的要素を考えても、脳卒中を起こす可能性は非常に高かったと言えるのでしょうthink


脳内出血の原因はよく言われているので書きませんが、一つ気になったのが、「便秘」というキーワードがあったことflair
探すと結構出てきますが、要は力むことが良くないそうで、母も「前日踏ん張りすぎたbearing」と言っていました。(それが原因とは言いませんがcoldsweats01
便秘ではない私にはわかりませんが、「踏ん張りすぎて血管キレそうって思ったことがあるsign03」というのが、便秘症の家族の言葉なので、これも注意事項の一つなんだなぁと思ったり・・・coldsweats01

いずれ、自分でトイレに行けるようになる!というのが、目標だなぁと、本人も家族も感じていますthink

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2014/10/02

闘病観察日記 その3

さて、母の闘病観察日記3です。

発症後すぐは、完璧な半側空間無視 が見られました。

いわゆる「左側を認識できない」という症状です。目が見えてないわけではないのですが、左を認知する部分の脳に損傷を負っているわけです。

「左手は?」と言っても反応がなく「もう一本の手って、どこにあるsign02」と聞くと、右の顔の前の辺りsign01の空間を探していましたcoldsweats02sweat01sweat01左足に至っては、探しもしません・・・coldsweats02

「左」という、これまで当たり前だった概念が消えている状態でしたwobbly

障がいのなかでも「見えない障がい」と言われる高次脳機能障がいと言われる障がいについては、ボランティアで支援している方々でもあり、知識としてはあったのですが、まさか自分の母親がそういう状態になるとは思ってもみませんでしたcrying

その後、徐々に出血による脳の圧迫が少し収まってきたのか、「左の概念」は少しずつ復活してきました。

しかし一度傷ついた脳神経は回復する可能性はほとんどないと言っていいようです。(新しく脳の回路が・・・的な話は、可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近いとC病院で言われましたsad

母の場合も「左がある」ということは、今はわかっていますflairが、どうやら左側の同名半盲(後述)があるようで、温度や湿度も表示される時計の一部が見えなかったりしましたbearing(一時期は全く見えていなかったけれど、部分的に改善されているところもあります)

左側の空間を無視する「半側空間無視」と、視ている視界の左側が認識できない「同名半盲」が存在するようです。(これはすごく似ているけれど、違う症状なのだとか。これも後述します。)

右手は動くので、食事は基本的に1人でとれますが、トレーの上のご飯も、左側は最初全く見えませんでしたので、トレーの右側に寄せてあげる必要がありました。


また、若干立体感か視野にも問題があるようで、何もない所の物を取ろうとしたりすることもありましたし、スプーンを取ろうとして、机上5センチくらいの所を探していたり・・・でも、それは今はほとんど改善してきました。(本人が慣れてきた、というのもあるかもcoldsweats01

(見えない範囲が狭くなってきてるのかなconfidentsign01)と、病状の改善に安心しましたが、どうやらそう簡単でもない事が、最近またわかってきましたcoldsweats01

それでも、最初は、真正面から左は全く見えていなかったのが、頭を動かせるようになっていくとベッドの左端くらいまではボンヤリ見えるになったり・・・(そこから先は暗いのだと言っていました)

改善はしてきましたが、この後リハビリをしていく中で、この障がいは、大きな壁になりそうだなぁと感じました。


その他の状態については、母の闘病観察日記その4で。

【用語解説】 ただし受け売りだし、正しくないかも・・・^^;

半側空間無視:目(視神経~脳の入口)では見えているけど、脳が認識できない。本人は、片側に物があることを理解できない。

半盲:脳は片側を認識できるのに肝心の目(視神経~脳の入口)のどこかに障害があるため、脳まで情報が届かない。本人は見えないところがあることを理解できる。

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2014/09/25

闘病観察日記 その2

さて、母の闘病観察日記2ですconfident(ちなみにこれは、9月10日くらいの時の話で、病状やリハビリの内容なども今とは少し違います)

入院後2週間でN病院へ転院となった母。

今後のスケジュールとしては、入院後1か月後に、入院がどのくらいになるか、そしてどの程度まで回復可能なのかを判断する事。

すぐに画像診断し今の状況を把握する事sign03shineshineshine
入院した棟からは移動となり、翌日にはリハビリ棟へ移動する事。
などなど、親切丁寧に説明を受けました。

C病院との対応の差に、それだけで私と娘は嬉しくなりましたhappy02heart02heart02heart02

C病院は家から車で10分かかりませんcardash
N病院は家からだと45分ほどかかるでしょうかsign02(会社からだと30分)でも、その違いも全く気にならなくなりましたhappy01

CTで、まだ脳の腫れがひいていない状態であることも確認していただきましたsweat01wobbly
出血量が多かった為、吸収しきれていないとのことでした。
C病院にいた時から「頭痛がする」と言っていた理由がハッキリして少し安心しましたconfident

(そのため、リハビリも無理せずいきましょうと。C病院では・・・とふと考えたりしましたbearing


現状は、リハビリとは言え自分で起き上がる事も出来ない状態ですので、担当の療法士さん達の指示で右足・右手を動かすのと、左側は動かしてもらっている・・・というような状態ですthink



でも、当初は全く身動きが出来なかったのですが、毎日少しずつでも動かしていただくと筋力がつくのか、自分で少し首を上げることもできるようになりましたupup
(左側の麻痺は顔や肩付近まであるので、感覚もほとんどない状態。振動は伝わっているようですが)

今は作業療法士さん、理学療法士さん、言語療法士さんに心理療法士さんまでがチーム体制で取り組んでくださっていますhappy01チーム体制とは言え、毎回担当の方のお名前もちゃんとわかるように明示してくださいます。(写真とお名前)



療法士さん達は、お仕事ととは言え嫌なことも沢山あると思うのですが、いつも笑顔ですし、こちらの疑問にもすぐにこたえてくださる、本当にいい方達ばかりで、頭が下がる思いでいっぱいですconfidentheart02heart02heart02

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2014/09/11

近況 (前回より更に長いです^^; )

またまたご無沙汰しておりますcoldsweats01

そんなものがあるとするならば、今年はどうやら我が家の厄年のようで・・・bearingdowndowndown
父が退院し、リハビリもそこそこ順調。一段落したと思った矢先、8月・お盆中に母が倒れました。

右被殻出血・・・いわゆる脳内出血 です。

朝、父が見つけた時には既にベッドの上で起き上がれずにもがいている状態でしたcrying
すぐに救急車を呼んでC病院に行きましたが、出血量が多く比較的重い麻痺が残るだろうとの宣告でしたweepweepweep

ショックでした。色々な意味で・・・wobbly

でも、これまであまり考えてこなかった家族の介護、そしていかに元気で年を取る事が大切かということを、よく考えるいい機会にもなりました。

なので、記録として残しておこうと思い、書いておりますpencil

ということで、母の闘病観察日記その1です。

お盆中に倒れ、救急車で運ばれた母はそのままC病院に入院hospital

当初はケア度が高い部屋にいましたが、その後一般の病室に移動(同じ階)。混んでいるとのことで、ずっと相部屋でした(最初の部屋は男女同室っっ!)

その間、血圧を下げる薬と栄養の点滴のみで、他にすることもなく、一般病室に移ってからは、何回かリハビリもありました。

とはいえ、リハビリ室に移動していたので、何のリハビリをしていたのかはわかりませんが・・・coldsweats02(見学したいと言ったら、前の日までに申し込むよう言われましたが、その翌々日転院だったので見学は出来しませんでした)

C病院には、別の階に従妹もいるし、それまであまり悪い印象はなかったのですが、この病棟特有の感じなのか(患者さんの年齢が高く、食事等生活に手間がかかる患者さんが非常に多いので)あまりいい雰囲気ではありませんでしたwobbly(勿論いい看護師さんもいらっしゃいましたがconfident


基本医者も看護師さんも不親切catface何かを頼むと迷惑そうな感じでしたdespair


自分ではほとんど身動きできない母ですから、体位交換等もマメに必要だったと思うのですが、気付いたらすごい汗疹が左脇に出来てしまっていて・・・sweat01

まだ右腕の動きもあまりよくない時期だったので、本人も掻くにも掻けず、可哀想でした。(さすがに薬を出してもらいましたが)

看護師である姉が詰め寄って、入院時以外にやっと一度お医者さんの説明を受けただけで、それ以外は「担当はチーム制ですから」と誰に状態を聞けばいいのかもわからず・・・wobbly

病状の変化を聞いても、「特に悪化がみられない限り、画像は撮りません」と言われcoldsweats02coldsweats02coldsweats02(入院時は、1週間位したら再度撮影し経過を観察するとの話でした)、結局入院時以外CTも撮らずに転院となりました sad


施設的にも、もうかなり古くなってきていると感じましたhospital
トイレtoiletも、和式が7割なので(3つ便器があれば2つは和式)、洋式待ちが当たり前。これは病棟だけじゃなく、外来部分もそうでした。


転院時、一つだけありがたかったのは、母の愛するキムチheart01に会わせることが出来た事です。

転院先の病院から寝台用の車が迎えに来た際、看護師さんに頼んでキムチを母の元へ・・・shine興奮して胸の上に乗ったので重かったとは言っていましたが、母もキムチも嬉しそうでしたhappy01

とりあえずの第一目標を、車椅子でいいから外に散歩に連れていき、キムチに会わせる事だ!と思った一瞬でしたsmile

長くなってきましたので、今日はこの辺で・・・

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